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 神葬祭とは、神職が神道形式で執り行う葬儀のことで、古代からの弔い(とむらい)の姿を今に受け継ぐ、祖霊崇拝を基にした日本固有の葬祭儀礼です。


神葬祭の沿革

 我が国の古い葬儀の様式は神話の中にみられ、日本書紀には伊弉冉尊が神去りしとき、紀伊国熊野に葬し(かくし)奉ったとあり、また古事記には天若日子の葬祭について記してあり、我が国における民俗固有の古来の習俗があったことを示しています。
 一方仏教における葬儀は、6世紀の中頃に日本に伝来して以降、布教に際して祖霊信仰と結びつき、御霊を仏として崇拝する日本独自の仏教となり、急速に普及していきました。さらに江戸時代には幕府の寺請制度により、必ずどこかの寺院に所属(檀家)しなければならないという制度が厳しく施行されたため、大半の葬儀が仏式で行われることになりました。
 しかし江戸時代の中期から後期にかけて、国学の興隆により国学者たちが日本古来の精神・文化に立ち返ろうと訴える中で、古来の信仰に基く葬儀を求めようとする「神葬祭運動」が起こり、幕府は神葬祭を行うことを限定的に許可するようになりました。
 明治時代になると、政府の神祇政策の一環として神葬祭が推奨されるようになり、神仏分離や廃仏毀釈に伴い、古来の信仰精神に則った神葬祭を見直そうとする運動がおこり、地域ごとに神葬祭に変更したところもありました。
 また、明治憲法下では信教の自由が制限付きで保障されていたため、葬儀の形式を強制されることはありませんでした。しかし、当時の神社神道は宗教ではないとされていたので、葬儀は宗教行為とみなされ、宗教活動である神葬祭を神職が行うことが禁止され、神葬祭の普及は停滞することとなりました。
 それから後、戦後になると神道が宗教とし確立され葬儀に携われるようになり、神葬祭は全国的に復興の兆しをみせ徐々に広がりつつあるところです。

神道の死生観

埋葬祭(納骨祭)

 神道においては「人はみな神の子であり神のおはからいにより生をうけ、この世での役割を終えると神々の住まう世界から子孫たちを見守る」と考えられています。

「日の本に生まれ出にし益人は     
    神より出て神に入るなり」

 江戸時代の伊勢・豊受大神宮の神官が詠んだこの歌には、「神から命を受けた者は、やがて祖先の神の許へ帰っていく」という日本人本来の死生観が込められています。つまり日本人の生命は、祖先から自分そして子孫へと永遠に連続性をもって引き継がれているというものです。
 日本において祖先の御霊を崇め敬い祀る信仰は、遥か昔より祖先から連綿と受け継がれてきたものであり、まさに神道の根本要素でもあります。祖霊は子孫の生活の安泰をいつも心静かに見守っておられ、このことを私達は感謝と敬いの気持ちをもってお祀りし続けなければならないのです。

神葬祭の祭儀

「葬場祭」斎場

 葬儀は人生における最終の重儀でありますので、人の終りを悲しむとともに遺徳を偲び、その御霊が安らかに鎮まりますよう祈り、誠の心を持って仕えなくてはなりません。
 神葬祭は地方によりそれぞれ特性があり、祭儀の順序にも多少相違があり省略される場合もありますが、一般的に執り行われるのは以下のとおりです。

◆帰幽奉告祭
 氏神様に帰幽した旨(お亡くなりになったこと)を奉告申し上げる。
◆通夜祭
 葬場祭の前夜に生前同様に故人に礼を尽し、在りし日を偲び手厚く弔う。
◆遷霊祭
 故人の御霊を霊代(みたましろ・霊璽ともいう)に遷し留める祭儀で、通夜祭に併せてて執
 り行なうことが多い。
◆葬場祭
 告別式のことで、故人の生前の功績を称え最後のお別れを告げ
 る、葬儀の中で最も重要な祭儀。

◆出棺祭
 出棺に際してその由を柩前に告げる、発柩祭(はっきゅうさい)とも
 いう。
◆火葬祭
 遺体を火葬に附する前に火葬場にて執り行う。
◆帰家祭
 葬儀場より自宅に帰り、霊代と遺骨を奉安し葬儀が滞りなく
 終えたことを奉告する。
◆霊前祭
 帰幽の日から十日、二十日、三十日、四十日、五十日、百日と十日ごとに行うもので、五
 十日祭もしくは百日祭は忌明けの祭でもあり、その時に埋葬祭(納骨祭)を併せて執り行う
 ことが多いようです。(二十日と四十日は省略することもあります。)
◆年 祭
 帰幽した翌年に一年祭を行ない、それ以降は三年、五年、十年と続き、その後は十年
 毎に執り行い御霊の遺徳を偲びます。
◆その他
 祖先にお供物を捧げてその冥福を祈る盂蘭盆会(うらぼんえ)は、一般には仏教行事とし
 て理解されていますが、我が国では宗教の壁を越えた祖霊信仰の慣習として定着してい
 ます。神道でもこれを「盆祭」として各地で同様に行われ、中でも一年以内に帰幽した人
 の御霊は「初盆祭」として丁重に営まれています。
 また、祖先の御霊に追悼の誠を捧げ、その御加護を祈る「祖霊祭」も故人の逝去日(祥月
 命日)に併せて執り行われます。
※詳細については「祖先のまつり」をご参照下さい。

神葬祭の特徴

御霊代

 神道では故人の御霊は、我が家、我が故郷、我が国土に留まり、祖先の神と共に子孫の繁栄と生活を見守っておられるものであり、その子孫からの祭を受けられることを一番お喜びになると信じられております。このことを我が民族は、悠久の太古から伝えられて来ており、これは永遠の未来に亘り変わることなく継承されて行くことでもあります。

●神道に戒名はありません。それは、死後も現世に生れた時に頂いた名前のままに祖神の世界へ向かわれるとされているからです。御霊代(霊璽)には、氏名の下に「命」、男性は「大人」(うし)、女性は「刀自」(とじ)をつけた、霊号(れいごう)が記されます。


祖霊舎

●お線香は焚きません。神道では、線香の代わりに燈明やろうそくを燈し、焼香の代わりに玉串(榊に神垂を付けたもの)捧げて御霊が安らかであるよう祈ります。
 ※参拝の作法は通常と同じ二拝二拍手一拝(二礼二拍手一礼)ですが、亡くなられた方を偲び慎む心を表す意味から、拍手は音を立てない「忍び手」で行います。(数珠も使用しません。)

●お墓は「奥都城」(おくつき・「奥津城」)と呼びます。墓所の形や様式は一般的なものと変わりませんが、お参りの際には榊と米・塩・水等を供え、また故人が生前好んだものやお花等もお供えされます。

●御霊代(霊璽)は「祖霊舎」(みたまや・「御霊舎」)にお祀りします。仏壇にあたるもので、木製の屋内祭壇のことです。日常のお参りは普段の作法と同じですが、神棚の後にお参りします。


忌服(きぶく)について

 古来日本人は、人の死は肉体的な一生は終わりますが、その家族や生前かかわった地域にとって、生命(いのち)の絆をどのようにして次に継承するかということを、重大な危機感をもって捉えていました。
 家族や親族に「弔事」が起こった場合には、その不幸を乗り越え清浄な心身を回復し、後の生活へ立ち返る節目として、ある一定期間を喪に服し慎むことが古くからの慣習とされています。このことを、「忌服」(きぶく)「服忌」(ぶっき)などと表現し、主に地域のお祭りや慶事に携わることを避け、しばらくの間これを遠慮するのを風習としています。
 我が国では古くから忌服の制度があり、明治七年には武家の忌服制に基づいて太政官布告の「服忌令」(ぶっきれい)が出されました。これを現代社会に適用するのは困難ですが、身を慎み喪に服する期間の目安としてご参照下さい。

▲「忌」(いみ・き)とは
 人の死を畏れ忌(い)むことで、死を悼み、その御霊(みたま)をなごめるための期間のこで、神道では最長で五十日間とされています。
 その期間にあることを「忌中」(きちゅう)といい、それぞれが忌むべき状態にあることで、この期間を過ぎると「忌明け」(いみあけ・きあけ)となります。
 忌中に特段の事情がある場合は、これを短縮してことも差し支えありません。また、地域の慣習などによりその期間は異なることもありますが、一般的な期間は「忌の期間一覧表」をご参照下さい。
《忌中の心得》
・喪家(葬儀家)では、神棚の前に半紙を貼ります。
・地域などにおけるお祭り行事や神社への参拝を遠慮します。
・結婚式や祝賀会などの人生儀礼における祝い事への参加を遠慮し、予定が変更できる
 場合は「忌明け」後まで延期します。
・この期間中、お祭り行事や祝い事に立場上やむなく参加しなければならない場合は、
 「忌明けの清祓い」を受けましょう。

▲「服」(ふく)とは
  本来は死を悲しみ喪服を着ることをいいました。忌の期間が過ぎると生活は平常に戻りますが、当分の間は喪服を着て晴れやかな場所へ出向くことを控えたいという、故人を追悼する気持ちを現すのが「服」の期間です。
 このように身を慎みながら、悲しみを乗り越え平常心に立ち返ろうとする「服」の期間を「喪中」(もちゅう)といいます。
 喪中の期間は日数によって規定するものではなく、本人の哀惜の情によって決められ、それぞれの心情に委ねられますが、長くても一年間程だとお考え下さい。徐々に普段の生活に戻るための「心のけじめ」をつける期間として慎みの心をもって生活していきます。
《喪中の心得》
・故人を追悼する気持ちを大切にしながらも、その悲しみを乗り越えご祖先さまとしてお迎
 えする敬いの心でお参りするように心がけましょう。
・喪中に年を越す場合は、正月飾や門松・鏡餅など、また年末年始のご挨拶や年賀状など
 も控えられた方がよろしいでしょう。

 昔は忌服の期間中、門を堅く閉ざして外出や人と会うことを許されませんでした。しかし、現在ではそれらが簡略化される傾向にあるようですが、その家の先祖代々の大切な心が子々孫々へと継承されなければならない重要な期間でもありますので、その大切なものを見失わないためにも、慎ましやかな生活をお送り頂きたいものです。
 尚、現代社会における仕事や学校を休む「忌引き」の期間は、勤務や授業に支障をきたさない最低限休むことのできる期間のことで、これは官公庁服務規定をもとにした「一般的に認められる忌引期間」をご参考にして下さい。


「清め塩」について

 人の生命(いのち)は神様から与えられたもので、それは清らかで光り輝き、次の世代へ受け継いでいく使命を帯びています。しかし、人々が生活する中でその輝きを曇らせ不吉にさせようとする心や忌まわしい状態が存在し、それを「穢れ」(けがれ)と呼び忌み嫌ってまいりました。
 神道でいう「死の穢れ」とは、死者や死体が穢れているというのではなく、また不潔や汚いものということでもありません。人の死によって不幸が生じたことによる、別れの悲しみや不安により気持ちが沈み、瑞々しい生気や元気がなくなった状態のことを意味しており、気が枯れた「気枯れ」(けがれ)が転化したものだとされています。
 その影響は肉親のみならず、葬儀における会葬者や故人が携わった地域へも及ぶとされ、この危機感を断ち切り、ふさいだ心を晴らし生命の輝きを取戻すために、塩の力に祓いの願いを託し、塩をまいて「お清め」をするものです。
 一部の宗教宗派や葬祭業者においては、死を穢れとして扱うことは死者を冒涜しているとして、「清め塩」を撤廃しようとする向きもあるようですが、私達はこの清めの精神と伝統を守り受け継いでいかなくてはなりません。

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