御祭神

御祭神

  1. 北岡神社について
  2. 神社の歴史
  3. 御祭神
  4. 御神木
  5. 縁の地と摂末社
  6. 境内の様子

健速須盞嗚尊

御祭神である健速須盞嗚尊(スサノヲノミコト)の生立ちは、伊邪那岐尊(イザナギノミコト)が黄泉の国から戻られた際、身についた罪穢れを祓い清めるため禊祓いをされると次々に神々がお生まれになり、その中で最も尊い三貴子が天照大神(アマテラスオオカミ)、月読尊(ツキヨミノミコト)、そして須盞嗚尊(スサノヲノミコト)であります。

須盞嗚尊(八重垣神社所蔵「素盞嗚尊像」壁画)

八重垣神社所蔵
「素盞嗚尊像」壁画

スサノヲノ尊は黄泉国を訪ねることを姉神の天照大神に告げようと高天原へ上がられました。けれどもそこで田畑等を荒らした為に、天照大神はお怒りになり天の岩屋戸に入りお隠れになりました。このため高天原は暗闇に覆われ数多の災いが起こりましたので、八百万の神々は集まって話し合いをされました。そして祭祀を奉り笑い溢れる楽しい踊りを催すと、この賑わいに天照大神が興味をもたれ現われました。するとようやく元の明るさを取り戻すことができましたが、スサノヲノ尊は罪を問われ高天原から追放となりました。

スサノヲノ尊は出雲の国の簸の川上に天降り、足名椎(アシナヅチ)・手名椎(テナヅチ)の娘の奇稲田姫(クシイナダヒメ)が住んでいる家に行き着きました。そこで八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に苦しめられていることを知ったスサノヲノ尊は征伐を決意され、十拳の剣を振りかざし智慮才覚をもって見事これを退治されました。その際尻尾から立派な剣が現れ、後にこれを天照大神に献上されました。これが三種の神器の一つ草薙の剣であります。

また、スサノヲノ尊は国造りには沢山の木々が必要と思い立ち、楠や檜などの木を生り出され各々に用途をお定めになって、これを御子神たちに植えさせて緑豊かな国にされたとも云われております。 このような御気性のスサノヲノ尊は、あらゆる災厄を鎮め悪行を降伏させることから、現代では厄除開運・諸事繁栄・交通安全の御神徳をもたらす神として尊崇されております。
その後、スサノヲノ尊はこのクシイナダ姫と御両親(アシナヅチ・テナヅチ)のお許しを得て、正式に御結婚され宮殿を築いて御歌を詠まれました。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣造る その八重垣を

盛んに湧き起こる雲が、八重の垣をめぐらせてくれる。新妻を住まわせるために、八重の垣をめぐらせ新居を造った。なんとすばらしいその八重垣は。

須盞嗚尊

この和歌は御妃との住まいを築かれた喜びの歌であり、また我が国で最初の和歌といわれています。
こうしてスサノヲノ尊はクシイナダ姫と共に力を合わせ国造りに励まれたのであります。このことから、当神社が縁結びの親神様として御神徳を仰がれている由縁であります。

またある時は、スサノヲノ尊は諸国を漫遊の途中に日が暮れてしまったので近くの村に宿を求めましたが、その地の富豪であった巨丹将来はこれを冷淡にあしらい、その兄であった蘇民将来は家が貧しいにもかかわらず快く受け入れておもてなしをいたしました。スサノヲノ尊はこれを大いに喜ばれ、「もしこの村に疫病が流行る事があるならば、茅を輪にして腰につけよ。」と教えました。後に疫病が流行ると弟巨丹将来の一族は息絶えたのに対し、兄蘇民将来の一族は教えどおりに茅輪をつけたことで疫病から逃れ子孫が繁栄したとされています。

その後、茅輪くぐりが各地で広く行われるようになりましたが、当神社では、この故事に倣い六月三十日の大祓式にあわせ「茅輪くぐり行事」を特に盛んに執り行なっております。

また、現在でも『蘇民将来子孫也』などと書かれた御札を門口に掲げると、家族に降り懸かる悪疫や災厄から逃れられるという風習が残っているのも、そのことにあやかっているからなのです。尚、境内末社の疫神社は蘇民将来の御霊をお祀りした神社であります。

神話からも覗えるように、御祭神健速須盞嗚尊は様々な過ちもありましたが高天原からの追放という悲境にも勇ましく立ち向かい、それに屈することなく立志され善悪を超越して克服した我が国で最初の英雄神であり、優れた魅力がそなわった神様であるといえるのではないでしょうか。

奇稲田姫命

奇稲田姫命(八重垣神社所蔵「稲田姫命像」壁画)

八重垣神社所蔵
「稲田姫命像」壁画

奇稲田姫(クシイナダ姫)は、スサノヲノ尊とご結婚された神話により、縁結びや家庭円満、また安産・子宝の御神徳が高いと尊ばれております。

その御神名の「奇」とは、計り知れないほど優れている不思議な威力を表す意味の美称であります。また、この御力をもって「稲田」の稲穂がたわわに実り豊かな営みをもたらして下さることから、五穀豊穣・社業繁栄の神様としても仰がれております。

尚、神話の八岐大蛇御征伐の中で、スサノヲノ尊がクシイナダ姫を大蛇から逸らすため櫛の姿に変えられ、それを尊が自らの髪に刺しお護りされたことから、櫛稲田姫とも称されております。

八柱御子神

八柱御子神

神話によると、スサノヲノ尊が天照大神に会うため高天原に上がられた時、異心がないことの証として誓約(うけい)を行うこととなりました。これは神に誓って神意を伺う儀式であり、それによって御子神たちがお生まれになりました。

そのスサノヲノ尊の御子神は、日本書紀では天忍穂耳命・天穂日命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命の五男神であるとし、一方の古事記では多紀理毘売命・市杵島比売命・多岐津比売命の三女神であるとされています。

当神社には、これら神々を合わせて八柱御子神としてお祀り申し上げております。

  • 天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)
  • 天穂日命 (あめのほひのみこと)
  • 天津日子根命 (あまつひこねのみこと)
  • 活津日子根命 (いくつひこねのみこと)
  • 熊野久須毘命 (くまのくすびのみこと)
  • 多紀理毘売命 (たきりびめのみこと)
  • 市杵島比売命 (いちきしまひめのみこと)
  • 多岐都比売命 (たきつひめのみこと)